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グランビルの法則 移動平均線を使ったテクニカル分析の利用法に、代表的なものとして「グランビルの法則」というものがあります。 「グランビルの法則」は、移動平均線と価格の位置関係に注目したもので、8つの法則から成り立ち、4つの「買いシグナル」と4つの「売りシグナル」があります。 買いシグナル 1.移動平均線が下降を続けた後、横ばいもしくは上向きかけている状態で、価格が移動平均線を上回った時。 2.移動平均線が上昇している時に、価格が移動平均線を下回った時。 3.価格が上昇基調の移動平均線の上にあり、移動平均線に向って下降してきたが、移動平均線を割り込むことなく再度上昇に転じた時。 4.価格が下降しつつある移動平均線から、相場が大きくかけ離れて下落した時。 売りシグナル 1.移動平均線が長期上昇の後、横ばいもしくは下降を開始した状態で、価格が移動平均線を下回った時。 2.移動平均線が下降している時に、価格が移動平均線を上回った時。 3.価格が下降基調の移動平均線の下にあり、移動平均線に向って上昇してきたが、移動平均線を通り抜けることなく再度下降に転じた時。 4.価格が上昇しつつある移動平均線から、相場が大きくかけ離れて上昇した時。 トップページへ
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ジャックナイフ現象(ジャックナイフげんしょう)とは、牽引自動車(セミトレーラー)が急ブレーキや急ハンドル操作を行った際、トラクターヘッド(動力部)とトレーラー(荷台)が「く」の字状に折れ曲がる現象。トラクターが急ハンドルを切った時、牽引するトラクターは曲がり始めても、荷台部分は慣性の法則によって直進しようとする。つまり、トレーラーヘッドに対して横滑りになるため、このような現象が起こる。路面の摩擦係数が低い場合は各車輪の制動力(タイヤのグリップ力)に差が出やすいため、直進時の制動でも荷台に押される形で折れ曲がることがある。折れ曲がった状態が折りたたみ式ナイフのジャックナイフに似ていることから、こう名付けられた。 自動車メーカーや車体メーカーではこの対策として、横滑り防止装置や逆位相操舵機構を搭載するようになった。
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11月20日 今日は、「秋現象」の日 2010年に行われた「熱海秋現象」 あれからもう10年が経ちました。 熱海だけではなく、日本が、世界が大きく変革しつつある中の節目の年。 お元気でいらっしゃいますでしょうか。 10周年を記念してちょっとした企画を…と考えていたときもありましたが 今は人を集めるということがタブー化しておりますので 色々落ち着いて、まだ皆様があの頃の楽しかった2日間を少しでも覚えていてくださっておりましたら 何かやりましょう。かならず。 それまで、皆様もお元気で! 2020/11/20 らんち 下記イベント「熱海秋現象」は 2010/11/20-21に実施、無事に終了致しました! 夏の「熱海ラブプラス現象」を通じて経験した 熱海で感じたカレシ達との交流、熱海の方とのコミュニケーション 楽しい思い出を受け取った、残念ながら受取れなかった 一人で参加して、実はちょっと寂しい思いをした もっともっと熱海を知りたい! などなど 私も、皆様も色々な感想をお持ちかと思います そしてまだリアルな熱海を経験していない皆様 この夏だけで終わらせるには勿体ない。行けなかったけどまた機会があれば…! そう思ったことはありませんか? 行きましょう、もう一度! 今度はみんなで! 実施目的 夏の熱海ラブプラス現象を通じて作られた 「ラブプラス+」「ユーザー(彼氏)」「熱海」を融合したコミュニティの維持と発展 特に、熱海の方々と交流する事を主目的とする 企画者 興味を持ってくださったカレシの皆様 & らんち(Twitter Ranchi12) (ご連絡は下記までお気軽に!) メール:lp-autumn@yuran.jp Twitter:lpatami201011 掲示板:'http //yuran.jp/lpatami201011/bbs/kikaku/' ☆当wikiに記載されている会社名・製品名などは、 各社の登録商標、もしくは商標です ☆『ラブプラス』『ラブプラス+』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、株式会社コナミデジタルエンタテインメントに帰属します。 ☆このサイト・イベントは個人による活動となります 熱海のご協力店舗様のご協力をいただいておりますが、個人と相互に利益は発生いたしません また、原作者様、メーカー様、その他企業様との関わりはございません ☆wikiに掲載されている全ての画像、テキストにつきまして 一部・全部問わず無断で転載・掲載することはご遠慮ください ☆当イベントは営利を目的としておらず、ご参加費から経費等を除き余剰発生した金銭につきましては お世話になりました熱海関連施設(もしくは団体)に全額寄付いたします 【熱海秋現象 on Twitter】 #twitter_badge
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Q:色の違うメダカのペアで繁殖させるとどうなりますか? A:メンデルの法則に従う場合がほとんどです。 メンデルの法則の説明 BRW→クロメダカ bRW→ヒメダカ BrW→アオメダカ BRw→ハイメダカ brW→シロメダカ Brw→パールブルーメダカ bRw→クリームメダカ brw→白ミルキー B→黒 R→黄 W→白 大文字は優性、小文字は劣性、アルビノ・ヒカリは劣性 ヒメダカの遺伝子はbRWですので、 ヒメダカの遺伝子の組み合わせは── bbRRWW bbRrWW bbRRWw bbRrWw ──これだけあります。 BとRとWを別々に考えます。 黒のBは両親がbbとbbなので子は確実にbbとなりbが現れます。 黄のRは、RRとRrがあります。 RRとRRの組み合わせの場合子は確実にRRとなります。 RRとRrの場合RRとRrが出るだけで現れる遺伝子はRとなります。 RrとRrの場合子はRRとRrとrrが出ます。 rrはrの遺伝子として現れるので一部の子の黄色遺伝子はrとなります。 同様に、白のWも黄色のRと同じ理由で一部の子はwが出ます。 つまり、ヒメダカだけを飼っていても その中にbbRrWwのオスとメスのヒメダカがいた場合 その両親の子は── bbRRWW→ヒメダカ(1) bbRrWW→ヒメダカ(2) bbRRWw→ヒメダカ(2) bbRrWw→ヒメダカ(4) bbrrWW→シロメダカ(1) bbrrWw→シロメダカ(2) bbRRww→クリームメダカ(1) bbRrww→クリームメダカ(2) bbrrww→白ミルキー(1) ※括弧内は割合 ──となり、理論的にはヒメダカからは白ミルキーが出る可能性があります。
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概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 現象主義は、論理実証主義に代表される還元主義的な現象主義と、大森荘蔵に代表される非還元主義的な現象主義に大別される。還元主義的な立場では「感覚与件」という現象の「原子」のような存在を措定し、それらの組み合わせで知覚・観念・思惟など、全ての現象が構成されていると考える。対して非還元主義的立場では、それぞれの現象は他の何ものにも還元できない全一的な存在だと考える。 現象主義はしばしば観念論と同一視される。事実ジョージ・バークリーは現象主義者であり、観念論者でもあった。両者の違いは、現象主義とはあくまで哲学的思考の方法論であり、観念論とはその方法から出発して形而上学的な判断を行うものだということである。 現象学(英 Phenomenology)とは、基本的には現象主義を出発点として、人間の認識と思考作用の構造を考究する学であるが、学者によってその意味と内容は大いに異なっている。なお独我論とは、現象主義を出発点として、人間は〈現象〉外部の存在を知り得ない、とする認識論的立場をいうが、やはり学者によってその意味と内容は大いに異なっている。 前史 歴史的にはプラトンのイデア論に対するアリストテレスの批判から始まる。アリストテレスは、「初めに感覚の内になかったものは知性の内にない」という認識論の根本原則を主張し、これが現在にまで至る経験主義の基礎となる。中世の普遍論争においては、14世紀イギリスのスコラ学者オッカムによって、アリストテレスを経験主義の立場から解釈した唯名論が強く主張された。オッカムは人間活動の全般を〈習慣〉概念によって経験的に説明しようと試み、オッカムの剃刀によって形相のような形而上学的存在者を否定した。このオッカムの思想は近代の英国経験論、現代における道具主義、プラグマティズム、実証主義、論理実証主義といったさまざまな経験主義的理論への道を開いた。 近代の哲学者ルネ・デカルトは、方法的懐疑によって、絶対に疑えない精神(現象)の存在を出発点とし、身体・世界・神など、あらゆる存在の証明を試みた。このデカルトの方法はニコラ・ド・マルブランシェに引き継がれる。マルブランシェは、デカルトにおける精神と物質の峻別が、物質世界の認識不可能性を導いているとし、物質世界の実在性を否定できると考えた。このマルブランシェの懐疑主義は英国経験論のジョージ・バークリーに大きな影響を与えることになる。 英国経験論においては、感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され、その思想は前述のアリストテレスの原則に基づいている。ジョン・ロックは、われわれの心は白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものであり、そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念が生じるとした。ジョージ・バークリーはロックとマルブランシェの思想を継承してラディカルに発展させ、「存在することは知覚されることである(ラテン語“Esse est percipi”エッセ・エスト・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)と主張した。これが現象主義の始まりである。デイヴィッド・ヒュームはバークリーの現象主義をさらに推し進め、自我さえも知覚の束であり、また因果関係さえも人間の習慣に依拠して規定されると考えた。そして19世紀の後半にはオーストリアのエルンスト・マッハが、経験主義的な認識論にオーギュスト・コントの実証主義を取り入れた〈感性的要素一元論〉を主張し、そしてその世界観を基に〈現象学的物理主義〉と呼ぶ自然科学の方法論を提唱した。 このような近代の経験主義の背景には、ガリレオやデカルトによってなされた科学革命に対する反動がある。アリストテレスの自然学においては、感覚や形相といったものもその範疇に含めていたが、近代の科学革命においては、感覚に与えられた対象の中で数学的に記述しうるもののみが着目され、運動における位置変化のみが記述される。ガリレオやデカルトにおいては、科学の対象とはわれわれの知覚する現象全体でなく、それらから切断された一面に過ぎなかったのである。 また現象主義は、唯物論の知覚理論に対する批判として広く受け入れられたという面もある。唯物論の知覚理論は知覚因果説であり、これは「カメラ・モデル」や「写し」と批判される。つまり人間の眼をカメラのレンズにたとえて、その眼が客観的事物の情報を受け取り、脳がその情報を処理する過程で知覚が生じるとするもので、知覚は客観的事物の「写し」というわけである。この知覚理論では、たとえば私がリンゴを見る場合、「実在のリンゴ」と「知覚像のリンゴ」という二つのものを認めており、二世界論ともいえる。しかし実在に対する主張は「物自体は認識できない」という、カントによって論証された人間の認識能力の限界を超えた形而上学的な主張を行っており、また後のデイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレムとして提起したような、解決困難な心身の相互作用の問題を生じさせるものである。しかし現象主義の立場を取る限り、相互作用、心的因果、随伴現象説などの問題は生じないのである。 方法論 マッハは伝統的な物心二元論を排し、感覚要素が世界を構成する究極の単位であると考えた。そして科学的認識からいっさいの形而上学的要素を排除しようとし、実体間の力の授受の関係を予想する原因・結果の概念――因果関係や、精神や物質という概念、つまり心的・物的の区別さえも排除し、ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉の、その相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的であるべきだとした(現象学的物理主義)。 マッハの思想はウィーン学団によって論理実証主義として展開され、〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。感覚与件(sense‐datum)の語はアメリカの哲学者 J. ロイスに由来し、いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。そのテーゼは「事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である」と要約され、このテーゼを忠実に展開したのがカルナップの『世界の論理的構築』である。ほかに G. E. ムーア、バートランド・ラッセル、分析哲学の流れに属する哲学者たちがこの〈言語的現象主義〉の立場を代表する。 日本では大森荘蔵が分析哲学の影響を受け、論理実証主義の還元主義的な感覚与件論は否定したものの、〈立ち現れ一元論〉を主張して現象主義の一つの到達点を示した。大森の考えでは個別の心的現象はすべて〈立ち現れ〉であり、唯物論や二元論が心的現象をもたらす原因とする物質的実在の存在については、語ることは無意味であるとする。また〈立ち現れ〉は感覚与件論のように原子的な要素に還元できず、全一的な存在だとした。 現れる意識現象そのものが世界であるとする現象主義の立場では、認識主観や認識主体というものを否定する。つまり人格の同一性問題において、「自己」や「自我」が通時的に人格の同一性を成り立たせているという考えを否定する。現象主義では、デカルトのコギトを単なる〈意識内容(コギタティオ)〉の告知とみなし、「I think, therefore I am」ではなく、「It thinks within me (ラッセル)」と言い換えようとする傾向がある。 論理実証主義 論理実証主義の思想は、現象主義の代表的な人物であるマッハの科学的世界観、感性的要素一元論と呼ばれる現代経験主義に基づいて起こった初期の科学哲学である。またラッセルとウィトゲンシュタインの論理哲学にも強く影響され、特にウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は論理実証主義者にとって聖書のような扱いを受けており、「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」(「ものの総体」とは「物自体の総体」と解釈された)、また「語りえぬものには沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの哲学は、人間が直接経験できない形而上学的なものについて語ることはナンセンスであるとする経験主義の立場を端的に表現している。 論理実証主義は、初期には感覚与件理論を採用し、「物理的事物は感覚与件からの論理的構成物である」と定義した。われわれが世界についてもつ知識は、科学的知識も含めて、究極的には全て知覚経験に還元されるというものである。この立場では、たとえば「茶色の机の上に青い本がある」という場合でも、「机」や「本」という語は一種の判断であるとし、ただ「茶色の広がりの上に青い小さな広がりがある」という、より根源的な知覚経験に還元する。この場合、「茶色」や「青い小さな広がり」とは懐疑可能な判断ではなく、懐疑するのが無意味な感覚与件であるとされる。つまり感覚与件論の目的は確実な知識と懐疑可能な知識を選別することである。なお直接に知覚できないニュートリノやクォーク、また法則や仮説などの理論は、「対応規則を通じて理論文は経験可能な観察文に翻訳できる(言語的還元)」として、科学は決して経験から乖離しないとする。 論理実証主義の思想内容はおよそ以下のようなものである。 (1)科学的世界把握 ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学(Einheitswissenschaft)〉であった。過去の多くの形而上学的世界観とは異なる経験主義的・科学的世界把握を行おうとするものである。そのために、諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。 (2)物理主義へ 論理実証主義は初期、マッハとラッセルの強い影響の下に、現象主義の立場をとった。この視点はカルナップの初期の著作『世界の論理的構成』などに明瞭に現れている。しかし、この立場に立つかぎり、科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として、オットー・ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり、そしてそれは、感覚言語ではなく、物言語(人名、物の名、場所、時刻など)によって構成されるべきであるという主張を展開し、その後の論理実証主義者の見解は、概してこれに傾いた。この新しい立場は〈物理主義(physicalism)〉と呼ばれる。 (3)論理主義 当時新しく構成された記号論理学を重視し、その発展に貢献した。さらにラッセル、ウィトゲンシュタインの影響の下に、〈論理的原子論(logical atomism)〉に近い立場をとり、現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし、やがて、数学の分野で広まった公理主義に接近し、数学のみならず、物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。 (4)形而上学の否定 論理実証主義は、形而上学を無意味な命題を論じているものとして否定した。そして命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは「命題の意味とはその検証の方法である」というものであり、これは〈検証原理〉と呼ばれる。しかしこの方法によると、形而上学の命題のみならず、多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり、哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。またこの規準によるならば、その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり、この規準はしだいに緩められ、伝統的な哲学問題の多くは復活することになる。 現代においては論理実証主義そのものは衰退し、論理実証主義への反発として発展した科学的実在論や物理主義が、科学哲学上の主流といえる考え方になっている。しかし論理実証主義の議論を通じて行われた言語の論理的分析の手法は現代にも継承され、記号論理学その他の分析哲学各分野において、必須の方法として定着することになった。 クワインは、認識論的ホーリズムを提唱し、論理実証主義の要素主義的な感覚与件論を批判した(デュエム-クワイン・テーゼ)。また理論文と観察文の翻訳の不確定性も指摘しており、クワインの批判によって論理実証主義は衰退したとも評される。 批判と補足 現象主義はマッハを現代の起点として19世紀後半から20世紀前半の哲学者たちに大きな影響を与えた。しかしドイツにゲシュタルト心理学が興り、W.ブントに代表される要素主義を批判して、われわれの経験は要素的感覚の総和には還元できない有機的全体構造をもつことを明らかにした。モーリス・メルロー=ポンティはゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い、要素的経験ではなく、一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し、要素主義や連合主義を退けた。フッサールがマッハに対し、志向性の観点が欠けていると批判したのも類似の観点からである。また後期のウィトゲンシュタインは、言語分析を通じて視覚経験の中にある「~として見る(seeing as)」という解釈的契機を重視し、視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論を批判した。このように20世紀なかばの哲学においては、純粋な感覚なるものは分析の都合上抽象された仮説的存在にすぎないとし、意味をもった知覚こそがわれわれの〈経験〉であるとする考えが有力になった。また科学哲学の観点からは、物理的事物に関する命題が有限個の感覚与件命題には分析し尽くせないことなどが指摘されている。 ただし人間の心理は基本的な要素に還元できないとするゲシュタルト心理学は、マッハが著書『感覚の分析』において、音楽のメロディや、いわゆる〈反転図形〉にゲシュタルト質があることを指摘し、その着想に示唆されたエーレンフェルトから始まったものである。つまり現象主義といっても多様であり、批判者がイメージするような原子論的要素主義者ばかりではない。 なお唯物論を擁護するマルクス主義の立場からは、レーニンが『唯物論と経験批判論』において、マッハの現象主義を「バークリーの焼き直しの主観的観念論である」と厳しく批判している。このようなレーニンの批判は、現象主義が個人的経験を基にしているゆえ相対主義を含意しており、ヘーゲル的な世界の共通認識を前提としたマルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論と相容れない思想であること、そしてマッハの思想がロシアのマルクス主義者たちにも浸透し、マッハとマルクスの思想を調和させようとしたボグダーノフなどが現われため、マルクス主義の分裂を危惧したことが理由だと考えられる。 マッハは現象主義の立場から原子の存在を否定し、ボルツマンと対立したが、後に原子の存在が確かめられ、原子物理学の発展によって現象主義は衰退することになった。 大森荘蔵は論理実証主義の感覚与件論は否定するが、〈立ち現われ一元論〉と〈重ね描き〉のアイデアによって、直接に知覚できない原子やクォーク、また法則や仮説などの理論を、「語り存在」として解釈して、現象主義的な方法を透徹した。つまりクォークなどの知覚できない理論的存在は、それを「語る」こと、つまり日常言語と繋がる科学用語で描写されることによって、存在の意味が見出されると考えた。 現代の心の哲学においては、持続的で志向的な意識と、要素的で必ずしも志向性を持つわけではないクオリアを区分するのが一般的である。そしてデイヴィッド・チャーマーズなどは汎心論的な立場から要素主義的な原意識の可能性を想定している。これらは初期の現象主義と類似点が多い。チャーマーズが原意識などを想定するのには相応の理由があり、それは意識現象の「由来」、つまり心的現象というものがどのように生成しているのかという、意識のハードプロブレムの核心問題が物理主義では説明困難だからである。従ってチャーマーズは、クオリアという心的性質を非物理的な何かに還元しようと考えたのである。また要素的な感覚を否定し、対象化されて意味をもった感覚こそが「経験」であるとするホーリズム的な立場では、動物の心の問題においてアポリアが生じるかもしれない。猫などの哺乳類は感覚を対象化できるかもしれない。しかしヘビなどの爬虫類、またバッタなどの昆虫、さらに微生物ならどうだろう。もしヘビに感覚を対象化する能力がないとしたら、ホーリズム的な立場では、ヘビが怪我をしてもがいていても、「ヘビは何も感じていない」と主張しているに等しいことになる。現代の心の哲学では、動物にも何らかの心やクオリアがあると仮定するのが一般的である。 なお、現代の科学哲学における実在論論争においては、経験主義的な傾向の哲学者は科学的実在論に対する批判として、現象主義を前提にした主張を行っている。(詳細は非実在論を参照のこと) 現象主義の最大の難点は、知覚因果説を否定するため、神経科学や物理学の成果を説明するのに困難があるという点である。そもそも知覚因果説は19世紀後半からの生物学や神経科学の発展を受けて主張されたもであり、自然科学との相性は良い。感覚器官や脳に損傷があれば知覚に傷害が生じることから、神経および脳と知覚との因果関係は明白だと思われる。従って人の感覚器官が外界の対象からの情報を受け取り、その情報が神経細胞を伝って脳に至り、脳が知覚を「生み出す」という、唯物論の知覚因果説は知覚の由来についての説明にある程度成功しているよう思われる。ただし「生み出す」という最後の点については大きな不合理があり、それが意識のハードプロブレムが主張される理由である。なお現象主義の立場から神経科学や物理学の成果を説明しようとした試みが、大森荘蔵の重ね描きである。 参考文献・論文 大森荘蔵『言語・知覚・世界』岩波書店 1971年 大森荘蔵『物と心』東京大学出版会 1976年 大森荘蔵『時間と存在』青土社 1994年 金子洋之『ダメットにたどりつくまで』勁草書房 2006年 木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』新書館 2002年 小林道夫『科学哲学』産業図書 1996年 小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年 種村完司『知覚のリアリズム』勁草書房 1994年 丹治信春『クワイン―ホーリズムの哲学』平凡社ライブラリー 2009年 戸田山和久『科学哲学の冒険』NHKブックス 2005年 神崎繁、熊野純彦、鈴木泉 編集『西洋哲学史4』講談社 2012年 ジョージ・バークリー『人知原理論』大槻春彦 訳 岩波書店 1958年 田村均「現象主義の検討」 http //repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24461/1/0907.pdf 片桐 茂博「現象主義と主観性」 http //ci.nii.ac.jp/naid/110000486933 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09 http 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概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 現象主義は、論理実証主義に代表される還元主義的な現象主義と、大森荘蔵に代表される非還元主義的な現象主義に大別される。還元主義的な立場では「感覚与件」という現象の「原子」のような存在を措定し、それらの組み合わせで知覚・観念・思惟など、全ての現象が構成されていると考える。対して非還元主義的立場では、それぞれの現象は他の何ものにも還元できない全一的な存在だと考える。 現象主義はしばしば観念論と同一視される。事実ジョージ・バークリーは現象主義者であり、観念論者でもあった。両者の違いは、現象主義とはあくまで哲学的思考の方法論であり、観念論とはその方法から出発して形而上学的な判断を行うものだということである。 現象学(英 Phenomenology)とは、基本的には現象主義を出発点として、人間の認識と思考作用の構造を考究する学であるが、学者によってその意味と内容は大いに異なっている。なお独我論とは、現象主義を出発点として、人間は〈現象〉外部の存在を知り得ない、とする認識論的立場をいうが、やはり学者によってその意味と内容は大いに異なっている。 前史 歴史的にはプラトンのイデア論に対するアリストテレスの批判から始まる。アリストテレスは、「初めに感覚の内になかったものは知性の内にない」という認識論の根本原則を主張し、これが現在にまで至る経験主義の基礎となる。中世の普遍論争においては、14世紀イギリスのスコラ学者オッカムによって、アリストテレスを経験主義の立場から解釈した唯名論が強く主張された。オッカムは人間活動の全般を〈習慣〉概念によって経験的に説明しようと試み、オッカムの剃刀によって形相のような形而上学的存在者を否定した。このオッカムの思想は近代の英国経験論、現代における道具主義、プラグマティズム、実証主義、論理実証主義といったさまざまな経験主義的理論への道を開いた。 近代の哲学者ルネ・デカルトは、方法的懐疑によって、絶対に疑えない精神(現象)の存在を出発点とし、身体・世界・神など、あらゆる存在の証明を試みた。このデカルトの方法はニコラ・ド・マルブランシェに引き継がれる。マルブランシェは、デカルトにおける精神と物質の峻別が、物質世界の認識不可能性を導いているとし、物質世界の実在性を否定できると考えた。このマルブランシェの懐疑主義は英国経験論のジョージ・バークリーに大きな影響を与えることになる。 英国経験論においては、感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され、その思想は前述のアリストテレスの原則に基づいている。ジョン・ロックは、われわれの心は白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものであり、そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念が生じるとした。ジョージ・バークリーはロックとマルブランシェの思想を継承してラディカルに発展させ、「存在することは知覚されることである(ラテン語“Esse est percipi”エッセ・エスト・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)と主張した。これが現象主義の始まりである。デイヴィッド・ヒュームはバークリーの現象主義をさらに推し進め、自我さえも知覚の束であり、また因果関係さえも人間の習慣に依拠して規定されると考えた。そして19世紀の後半にはオーストリアのエルンスト・マッハが、経験主義的な認識論にオーギュスト・コントの実証主義を取り入れた〈感性的要素一元論〉を主張し、そしてその世界観を基に〈現象学的物理主義〉と呼ぶ自然科学の方法論を提唱した。 このような近代の経験主義の背景には、ガリレオやデカルトによってなされた科学革命に対する反動がある。アリストテレスの自然学においては、感覚や形相といったものもその範疇に含めていたが、近代の科学革命においては、感覚に与えられた対象の中で数学的に記述しうるもののみが着目され、運動における位置変化のみが記述される。ガリレオやデカルトにおいては、科学の対象とはわれわれの知覚する現象全体でなく、それらから切断された一面に過ぎなかったのである。 また現象主義は、唯物論の知覚理論に対する批判として広く受け入れられたという面もある。唯物論の知覚理論は知覚因果説であり、これは「カメラ・モデル」や「写し」と批判される。つまり人間の眼をカメラのレンズにたとえて、その眼が客観的事物の情報を受け取り、脳がその情報を処理する過程で知覚が生じるとするもので、知覚は客観的事物の「写し」というわけである。この知覚理論では、たとえば私がリンゴを見る場合、「実在のリンゴ」と「知覚像のリンゴ」という二つのものを認めており、二世界論ともいえる。しかし実在に対する主張は「物自体は認識できない」という、カントによって論証された人間の認識能力の限界を超えた形而上学的な主張を行っており、また後のデイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレムとして提起したような、解決困難な心身の相互作用の問題を生じさせるものである。しかし現象主義の立場を取る限り、相互作用、心的因果、随伴現象説などの問題は生じないのである。 方法論 マッハは伝統的な物心二元論を排し、感覚要素が世界を構成する究極の単位であると考えた。そして科学的認識からいっさいの形而上学的要素を排除しようとし、実体間の力の授受の関係を予想する原因・結果の概念――因果関係や、精神や物質という概念、つまり心的・物的の区別さえも排除し、ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉の、その相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的であるべきだとした(現象学的物理主義)。 マッハの思想はウィーン学団によって論理実証主義として展開され、〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。感覚与件(sense‐datum)の語はアメリカの哲学者 J. ロイスに由来し、いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。そのテーゼは「事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である」と要約され、このテーゼを忠実に展開したのがカルナップの『世界の論理的構築』である。ほかに G. E. ムーア、バートランド・ラッセル、分析哲学の流れに属する哲学者たちがこの〈言語的現象主義〉の立場を代表する。 日本では大森荘蔵が分析哲学の影響を受け、論理実証主義の還元主義的な感覚与件論は否定したものの、〈立ち現れ一元論〉を主張して現象主義の一つの到達点を示した。大森の考えでは個別の心的現象はすべて〈立ち現れ〉であり、唯物論や二元論が心的現象をもたらす原因とする物質的実在の存在については、語ることは無意味であるとする。また〈立ち現れ〉は感覚与件論のように原子的な要素に還元できず、全一的な存在だとした。 現れる意識現象そのものが世界であるとする現象主義の立場では、認識主観や認識主体というものを否定する。つまり人格の同一性問題において、「自己」や「自我」が通時的に人格の同一性を成り立たせているという考えを否定する。現象主義では、デカルトのコギトを単なる〈意識内容(コギタティオ)〉の告知とみなし、「I think, therefore I am」ではなく、「It thinks within me (ラッセル)」と言い換えようとする傾向がある。 論理実証主義 論理実証主義の思想は、現象主義の代表的な人物であるマッハの科学的世界観、感性的要素一元論と呼ばれる現代経験主義に基づいて起こった初期の科学哲学である。またラッセルとウィトゲンシュタインの論理哲学にも強く影響され、特にウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は論理実証主義者にとって聖書のような扱いを受けており、「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」(「ものの総体」とは「物自体の総体」と解釈された)、また「語りえぬものには沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの哲学は、人間が直接経験できない形而上学的なものについて語ることはナンセンスであるとする経験主義の立場を端的に表現している。 論理実証主義は、初期には感覚与件理論を採用し、「物理的事物は感覚与件からの論理的構成物である」と定義した。われわれが世界についてもつ知識は、科学的知識も含めて、究極的には全て知覚経験に還元されるというものである。この立場では、たとえば「茶色の机の上に青い本がある」という場合でも、「机」や「本」という語は一種の判断であるとし、ただ「茶色の広がりの上に青い小さな広がりがある」という、より根源的な知覚経験に還元する。この場合、「茶色」や「青い小さな広がり」とは懐疑可能な判断ではなく、懐疑するのが無意味な感覚与件であるとされる。つまり感覚与件論の目的は確実な知識と懐疑可能な知識を選別することである。なお直接に知覚できないニュートリノやクォーク、また法則や仮説などの理論は、「対応規則を通じて理論文は経験可能な観察文に翻訳できる(言語的還元)」として、科学は決して経験から乖離しないとする。 論理実証主義の思想内容はおよそ以下のようなものである。 (1)科学的世界把握 ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学(Einheitswissenschaft)〉であった。過去の多くの形而上学的世界観とは異なる経験主義的・科学的世界把握を行おうとするものである。そのために、諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。 (2)物理主義へ 論理実証主義は初期、マッハとラッセルの強い影響の下に、現象主義の立場をとった。この視点はカルナップの初期の著作『世界の論理的構成』などに明瞭に現れている。しかし、この立場に立つかぎり、科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として、オットー・ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり、そしてそれは、感覚言語ではなく、物言語(人名、物の名、場所、時刻など)によって構成されるべきであるという主張を展開し、その後の論理実証主義者の見解は、概してこれに傾いた。この新しい立場は〈物理主義(physicalism)〉と呼ばれる。 (3)論理主義 当時新しく構成された記号論理学を重視し、その発展に貢献した。さらにラッセル、ウィトゲンシュタインの影響の下に、〈論理的原子論(logical atomism)〉に近い立場をとり、現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし、やがて、数学の分野で広まった公理主義に接近し、数学のみならず、物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。 (4)形而上学の否定 論理実証主義は、形而上学を無意味な命題を論じているものとして否定した。そして命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは「命題の意味とはその検証の方法である」というものであり、これは〈検証原理〉と呼ばれる。しかしこの方法によると、形而上学の命題のみならず、多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり、哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。またこの規準によるならば、その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり、この規準はしだいに緩められ、伝統的な哲学問題の多くは復活することになる。 現代においては論理実証主義そのものは衰退し、論理実証主義への反発として発展した科学的実在論や物理主義が、科学哲学上の主流といえる考え方になっている。しかし論理実証主義の議論を通じて行われた言語の論理的分析の手法は現代にも継承され、記号論理学その他の分析哲学各分野において、必須の方法として定着することになった。 クワインは、認識論的ホーリズムを提唱し、論理実証主義の要素主義的な感覚与件論を批判した(デュエム-クワイン・テーゼ)。また理論文と観察文の翻訳の不確定性も指摘しており、クワインの批判によって論理実証主義は衰退したとも評される。 批判と補足 現象主義はマッハを現代の起点として19世紀後半から20世紀前半の哲学者たちに大きな影響を与えた。しかしドイツにゲシュタルト心理学が興り、W.ブントに代表される要素主義を批判して、われわれの経験は要素的感覚の総和には還元できない有機的全体構造をもつことを明らかにした。モーリス・メルロー=ポンティはゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い、要素的経験ではなく、一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し、要素主義や連合主義を退けた。フッサールがマッハに対し、志向性の観点が欠けていると批判したのも類似の観点からである。また後期のウィトゲンシュタインは、言語分析を通じて視覚経験の中にある「~として見る(seeing as)」という解釈的契機を重視し、視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論を批判した。このように20世紀なかばの哲学においては、純粋な感覚なるものは分析の都合上抽象された仮説的存在にすぎないとし、意味をもった知覚こそがわれわれの〈経験〉であるとする考えが有力になった。また科学哲学の観点からは、物理的事物に関する命題が有限個の感覚与件命題には分析し尽くせないことなどが指摘されている。 ただし人間の心理は基本的な要素に還元できないとするゲシュタルト心理学は、マッハが著書『感覚の分析』において、音楽のメロディや、いわゆる〈反転図形〉にゲシュタルト質があることを指摘し、その着想に示唆されたエーレンフェルトから始まったものである。つまり現象主義といっても多様であり、批判者がイメージするような原子論的要素主義者ばかりではない。 なお唯物論を擁護するマルクス主義の立場からは、レーニンが『唯物論と経験批判論』において、マッハの現象主義を「バークリーの焼き直しの主観的観念論である」と厳しく批判している。このようなレーニンの批判は、現象主義が個人的経験を基にしているゆえ相対主義を含意しており、ヘーゲル的な世界の共通認識を前提としたマルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論と相容れない思想であること、そしてマッハの思想がロシアのマルクス主義者たちにも浸透し、マッハとマルクスの思想を調和させようとしたボグダーノフなどが現われため、マルクス主義の分裂を危惧したことが理由だと考えられる。 マッハは現象主義の立場から原子の存在を否定し、ボルツマンと対立したが、後に原子の存在が確かめられ、原子物理学の発展によって現象主義は衰退することになった。 大森荘蔵は論理実証主義の感覚与件論は否定するが、〈立ち現われ一元論〉と〈重ね描き〉のアイデアによって、直接に知覚できない原子やクォーク、また法則や仮説などの理論を、「語り存在」として解釈して、現象主義的な方法を透徹した。つまりクォークなどの知覚できない理論的存在は、それを「語る」こと、つまり日常言語と繋がる科学用語で描写されることによって、存在の意味が見出されると考えた。 現代の心の哲学においては、持続的で志向的な意識と、要素的で必ずしも志向性を持つわけではないクオリアを区分するのが一般的である。そしてデイヴィッド・チャーマーズなどは汎心論的な立場から要素主義的な原意識の可能性を想定している。これらは初期の現象主義と類似点が多い。チャーマーズが原意識などを想定するのには相応の理由があり、それは意識現象の「由来」、つまり心的現象というものがどのように生成しているのかという、意識のハードプロブレムの核心問題が物理主義では説明困難だからである。従ってチャーマーズは、クオリアという心的性質を非物理的な何かに還元しようと考えたのである。また要素的な感覚を否定し、対象化されて意味をもった感覚こそが「経験」であるとするホーリズム的な立場では、動物の心の問題においてアポリアが生じるかもしれない。猫などの哺乳類は感覚を対象化できるかもしれない。しかしヘビなどの爬虫類、またバッタなどの昆虫、さらに微生物ならどうだろう。もしヘビに感覚を対象化する能力がないとしたら、ホーリズム的な立場では、ヘビが怪我をしてもがいていても、「ヘビは何も感じていない」と主張しているに等しいことになる。現代の心の哲学では、動物にも何らかの心やクオリアがあると仮定するのが一般的である。 なお、現代の科学哲学における実在論論争においては、経験主義的な傾向の哲学者は科学的実在論に対する批判として、現象主義を前提にした主張を行っている。(詳細は非実在論を参照のこと) 現象主義の最大の難点は、知覚因果説を否定するため、神経科学や物理学の成果を説明するのに困難があるという点である。そもそも知覚因果説は19世紀後半からの生物学や神経科学の発展を受けて主張されたもであり、自然科学との相性は良い。感覚器官や脳に損傷があれば知覚に傷害が生じることから、神経および脳と知覚との因果関係は明白だと思われる。従って人の感覚器官が外界の対象からの情報を受け取り、その情報が神経細胞を伝って脳に至り、脳が知覚を「生み出す」という、唯物論の知覚因果説は知覚の由来についての説明にある程度成功しているよう思われる。ただし「生み出す」という最後の点については大きな不合理があり、それが意識のハードプロブレムが主張される理由である。なお現象主義の立場から神経科学や物理学の成果を説明しようとした試みが、大森荘蔵の重ね描きである。 参考文献・論文 大森荘蔵『言語・知覚・世界』岩波書店 1971年 大森荘蔵『物と心』東京大学出版会 1976年 大森荘蔵『時間と存在』青土社 1994年 金子洋之『ダメットにたどりつくまで』勁草書房 2006年 木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』新書館 2002年 小林道夫『科学哲学』産業図書 1996年 小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年 種村完司『知覚のリアリズム』勁草書房 1994年 丹治信春『クワイン―ホーリズムの哲学』平凡社ライブラリー 2009年 戸田山和久『科学哲学の冒険』NHKブックス 2005年 神崎繁、熊野純彦、鈴木泉 編集『西洋哲学史4』講談社 2012年 ジョージ・バークリー『人知原理論』大槻春彦 訳 岩波書店 1958年 田村均「現象主義の検討」 http //repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24461/1/0907.pdf 片桐 茂博「現象主義と主観性」 http //ci.nii.ac.jp/naid/110000486933 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09 http 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現象
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◆◆◆◆◆◆◆◆メンデルの法則◆◆◆◆◆◆◆◆ Q:色の違うメダカのペアで繁殖させるとどうなりますか? A:メンデルの法則に従う場合がほとんどです。 【メンデルの法則の説明】 BRW→クロメダカ bRW→ヒメダカ BrW→アオメダカ BRw→ハイメダカ brW→シロメダカ Brw→パールブルーメダカ bRw→クリームメダカ brw→白ミルキー B→黒 R→黄 W→白 大文字は優性、小文字は劣性、アルビノ・ヒカリは劣性 ヒメダカの遺伝子はbRWですので、ヒメダカの遺伝子の組み合わせは bbRRWW bbRrWW bbRRWw bbRrWw これだけあります。 BとRとWを別々に考えます。 黒のBは両親がbbとbbなので子は確実にbbとなりbが現れます。 黄のRは、RRとRrがあります。 RRとRRの組み合わせの場合子は確実にRRとなります。 RRとRrの場合RRとRrが出るだけで現れる遺伝子はRとなります。 RrとRrの場合子はRRとRrとrrが出ます。 rrはrの遺伝子として現れるので一部の子の黄色遺伝子はrとなります。 同様に、白のWも黄色のRと同じ理由で一部の子はwが出ます。 つまり、ヒメダカだけを飼っていても その中にbbRrWwのオスとメスのヒメダカがいた場合その両親の子は bbRRWW→ヒメダカ(1) bbRrWW→ヒメダカ(2) bbRRWw→ヒメダカ(2) bbRrWw→ヒメダカ(4) bbrrWW→シロメダカ(1) bbrrWw→シロメダカ(2) bbRRww→クリームメダカ(1) bbRrww→クリームメダカ(2) bbrrww→白ミルキー(1) (カッコ内は割合) となり、理論的にはヒメダカからは白ミルキーが出る可能性があります
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クラッキングエフェクト 作品名:スチームパンクシリーズ全般 用語分類:術技分類 発明者:ロード・アヴァン・エジソン スチームパンクシリーズ(Liar-soft)に登場する用語。 現実を歪める数式。大脳など身体に埋め込むことで現実では起こり得ないような現象を引き起こすことが可能となる。 詳細物理を超越する数式 アステア理論大脳変異者が使う現象数式 現象数式体(クラッキング・ビーイング)現象数式によって顕現する存在 元ネタ 関連項目現象数式体 関連タグ リンク 詳細 物理を超越する数式 《時間人間》によってもたらされた術式演算を行うだけで物理法則を捻じ曲げる数式。使用時にクラッキング光と呼ばれる光が放出される。 公式印刷物ではないがヴァン・ホーエンハイムがエジソンと戦う際に魔術を数式として使ったことを目にして作り上げた、あるいは模倣したとされる。 あらゆる物理をねじ曲げる、 まさしく、これこそが現象数式の真の力。 異能などその余技に過ぎない。 これだ。これこそが。 圧倒的なまでの力、 世界を、物理を、改変せしめる力。 世界を書き連ねる数を弄り回す力。 アステア理論 大脳変異者が使う現象数式 大脳に現象数式を習得する碩学級の頭脳を持たずとも大脳が変容した人物であれば扱える。あらゆる人が異形化した異形都市インガノックにおいても体得できる人は少数。 ——脳が機能する。 ——現象数式を司る器官である“脳”が (中略) 質の悪い冗談のような、 この、現象数式という手品を扱えるように。 ギーの脳は歪んでこうなった。10年前に。 現象数式体(クラッキング・ビーイング) 現象数式によって顕現する存在 現実を犯す幻想の存在ほとんどの個体が物理を無効化し、さらに何かしらの万象を死に至らしめる能力を持つ。 元ネタ クラッキング(英 Cracking) 悪意をもってコンピュータのデータを改竄、窃視、破壊などを行うこと。 関連項目 数秘機関 現象数式によって発明された機関。 異能 限定的な現象数式 現象数式体 《奇械》 クリッター グリム=グリム 《怪異》 《機怪》 《御使い》 関連タグ スチームパンクシリーズ(Liar-soft) 事象干渉 用語 用語(能力) 用語(術技) 赫炎のインガノック リンク Wikipedia クラッキング (コンピューター用語)
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概要 概要 電脳体が肉体と分離する現象。肉体は意識を失い、分離した電脳体が意識を持つ。 脳波がイマーゴによって電波として電脳体に送り出されることで、電脳体が意識を持つようになるとされる。 電脳体は肉体から離れて自由に行動することが可能で、電脳的な制約のみを受ける。 つまり、電脳ペットのように現実には存在しない古い空間内に入ったり、ワープをすることも可能である。 また、電脳の五感もあり、通常感じることができない電脳物質の感触や匂いなどを感じることもできる。 分離中の肉体には黒いマスクがかけられ、「NO DATA」と表示される。 肉体と電脳体のリンクは電波によってなされるため、電脳メガネを外したり電源を切ったりするとこのリンクは永久に失われてしまう。 こうなると意識を呼び戻すことは不可能であり、肉体は永遠に意識不明の植物状態となってしまう。そのため、分離中にこれらのことをすることは禁忌である。 なお、戻ることのできなくなった電脳体がその後どうなるのかは分かっていない。 肉体と電脳体が一定距離以上離れることでもリンクは切れてしまうが、この場合リンクの復元が可能かどうかは不明である。 また、分離中の電脳体が攻撃されると直接意識にダメージを受けてしまうため、空間のフォーマットなども禁忌である。 コイルスが倒産しメガマスに吸収される際、「メガネの販売・普及の妨げになる」としてメガマスはこの現象をイマーゴ諸共隠蔽した。 しかしメガネから機能を外すことはできず、代わりに電脳空間を改良することでイマーゴを無効化した。 ヌルはこの現象を利用して人間の電脳体をCドメインに移送することができる。 このヌルと通路が放棄されて野生化し、暴走したものが後の騒動の元凶である。 電脳コイル現象を起こすためには、対象者がイマーゴを持つことが必須条件である。 主にヌルに触れられることで起こるが、非常にバージョンの古い空間にいることで意識が影響を受け、軽い分離が起こることが確認されている。 分離中は前述の通り、メガネを外したり電源を切ったりすることは禁忌である。 電脳体を元に戻すのは、肉体と電脳体との距離が3m以内のときに電脳体にコイルタグを貼る、またはイサコの暗号を使う(この場合は距離が離れていても問題ない)などで可能である。